勉強の記録と言葉あそび

勉強と言葉、備忘録のような進捗報告

今を後悔するようになった話

 

 オンライン授業が始まってしばらくたって、斬新さがなくなった今、私の手元にあるのは課題だけになってまいりました。嗚呼、私より先にオンライン授業の始まっていた友人が「課題はね、溜めないほうがいいよ」って言っていた言葉が心にぶっ刺さる…

 

 今日はそんな話は置いておいて、ものすごく悔しくてしょうもない気持ちを抱えていたことをつらつらと語りたいと思います。どこかの私みたいな受験生に届けばいいなと思ったり、ただ自分の中の気持ちを吐き捨てたいだけなのかもしれなかったり。支離滅裂

 

 

 私、東工大に行きたかったんですよね、ずっと。積もる思いは2,3年にとどまらず、他の大学の学部3年になってる今でも思っているくらいだから、多分もう5年近くになるのかな。

 行かなかった理由は行けなかったからで、もう一度チャレンジしようと思わなかった理由は勉強できないと断言できたから。受験期の私は、どうして今の大学に引っかかったんだ、って思うくらいの体たらくで、どんなに誇張しても勉強を頑張ったとは言えなかったと思う。頑張っていたのは「周りの目を気にすること」と「体裁を整える事」で、勉強じゃなかったんだよね。どうして勉強しなかったか、理由はいくつかあるけど、多分「なんとかなる」と思っていたこと、そして、「東工大」という目的が形骸化されていたことが大きいと思う。

 私はやりたいこと、将来の夢がなんにもない。今も、昔も、まともにあった試しがない。モチベーションがあれば勉強できる、目標があれば頑張れる、とみんな言う。私は、正直勉強にそのものの興味以外の「モチベーション」を抱けたことがない。ばかで偏屈だから、こんなのやらなくてもなりたいものになる方法はいくらでもあるんじゃないかって、思っちゃうんだよね。そんな考えがあるからかもしれない。私が勉強する理由は定期試験であり、友達にすごいと思われるためであり、自分の中の自分を保持するためであった。だから、受験勉強は私には向いてなかった。 「東工大」に受かる私がかっこいい! そんな不純な動機でも頑張れるよっていろんな人に背中押されて、結局うまくいかなかったんだ。だって、それは「東工大」を目指す私がかっこいい! とほぼ等しく、その時にもう、達成してしまっていたんだから。

 本当はやらなきゃいけないことだって、本当はその日々の積み重ねが大切だって、分かってた。自分で何度も何度も言い聞かせたし、やろう、やれるよ、って自分を鼓舞し続けてきた。それだけは本当にそうだし、今でもそれを書きなぐったノートは捨てられない。「絶対後悔するよ」「今の私が頑張ったことを評価するのは合格しかないよ」「だから頑張るんだよ」すごく論が通って筋が通って、でも、できなかった。全部わかっていたけど、できなかったんだ。

 そんな私は、自分の理想と現実のギャップについていけず、理想だけが煌々と輝く日々を送ることとなる。夕方に起き、申し訳程度に勉強し、真夜中に、「明日こそ頑張ろう」と決意する。バカみたいな日々を送っていたことは自覚している。よくぞそんな気概で受けたな、という勉強時間で日々を過ごし、受験を終え、結果がすべて出そろった時には、「だよね」って思った。だって、勉強してなかったんだもん。

 その時もそれなりに反省したと思う。でもそれよりも、自分が「落ちた」以上に傷つきたくなくて、仕方ない、しょうがない、私が頑張らなかったせいって自覚してるじゃんって、言い聞かせて、やり過ごしてしまった。間違っているとは思わないけど、私はこの時からずっと、現実から逃げている。

 

 そして最近、人生で初めて、人生をやり直したいって、思うようになった。なんでかは後で説明しようと思う。どこからやり直したいかって? 多分「受験に落ちたところから」やり直したいんじゃない。今、私が後悔しているのは、大学に上がってからの自分だ。入りたかった大学じゃないという理由でサークルや遊びに明け暮れた現実とそれが未来の私の道を制限しているという現実と同値であるということが、当たり前のようで認識できていなかった。

 

 私がこの話で何を伝えたいかというと、人生にやり直しも切り替えもないだけでなく、環境には染まり、慣れていくということだ。今勉強しなかったら後悔するだろう、そんな甘いものではなく、今勉強しなかったら後悔することもなく理想から遠ざかっていくだろう、ということだ。後悔したほうが随分とましだと思う。後悔していない私は、反骨精神もなくダラダラと大学生活を送ってしまっている。

 大学一年生の頃は、大学院は東工大に行くと決めていた。頑張るって思っていた。三年になった今の私はついぞ、5年も恋焦がれている東工大を諦める道を喜び勇んで歩もうとしている。自分の大学でやりたいことを見つけたわけではないが、自分のできる範囲で人生の豊かになる場所を探しだした。

 その時、人生で一番、自分に絶望した。私は人生で抱いたことのないむなしさを抱き、人生をやり直したいと思った。なぜ? 東工大に本当に行きたかったわけではないんだな、と自分を納得させようとする自分に気付いたからだ。行きたい気持ちと現実がぱっくりと割れ、私には知識も学問の理解度も勉強への情熱も足りないという事実が、それが東工大という場所を本当にあこがれていたわけではないと自己防衛に走らせている。そう、気付いてしまったから。

 ふざけんな。行きたいに決まってんだろ。

 それでも私はきっと、明日も明後日も、東工大を諦める理由を見つけて、将来にふたをしていく。理想から遠ざかっていく。様々なやりたいこととの折り合いをつけるのが難しいからとか、どんな言い訳も理由にして。

 

 今の生活が好きで、振り切れる自信のない私の意志の弱さのせいにしてしまえばこの話は終わりだけど、人生は言葉よりもはるかに泥臭い。この話のほうが現実に近いでしょ?

 一つ、この話に啓発をつけるのであれば、これがいいたい。

 

 理想をかなえるために必要なのは「理想に向かうための」環境である。それ以外の環境で理想をかなえるのは、きっと難しい。

 

 あの大学に行きたい。あの研究室に入りたい。あんな人になりたい。そう思った時にまずやるべきは、「それに一番ちかい人がいる環境に飛び込み、がむしゃらにさせられる」ことだと、私は思う。道が閉ざされる前に、できる最善を尽くして環境を作れ。そしたらきっと、理想への道は開くんだ。逆に、がむしゃらにならなかったらどうなる?私を見てくれ。

 

 美しいことは簡単に言える。努力は実を結ぶだとか、努力したその瞬間こそが宝だとか。あきらめるには早い、人生にやり始めるには遅いことなんてないだとか。うるせえ!! それは、それを達成してはじめて言える話で、何もなしえてない人間に言い聞かせるべき言葉じゃない。それだけは忘れないでほしい。

はじめまして

午前二時 踏切に 望遠鏡を担いでった

バンプオブチキンのこの有名曲が頭の中を駆け抜ける時刻ですね。こんな時間までおきているなんて全くけしからん。誰だ!私です。

 

こんな時間にどうしてまたブログなんて開設しているのかと言いますと、まあ、分かってください、明日は日曜日だからですよ。寝なきゃいけないのにぐうたらしてこの時間、なにか起きていた価値を見出したくて、ぐうたらするという本末転倒、しがちじゃないですか??このブログをあさるくらい暇な人はわかってくれるはず。

そんな、望遠鏡もラジオももっていない私がブログ開設というなんともコアなものにたどり着いたのは紛れもない。たまたま友人がブログに読者ができたと喜んでいるのをみて、あ、私も始めよ~という軽いノリですよ悪かったですねえ。

でもね、いいなあ、言葉を読んでもらえるって、きっと楽しいんだろうなあって思ったの。私も言葉紡ぐの大好きだからさ。でも、言葉は言葉にしたいときに言葉にするもんじゃない?ブログでかかなくちゃという使命感に駆られるのはいやだから、基本は毎日の勉強記録というしょうもなくて私にとっては大事なことをここでしようって思っています。

 

もしもお付き合いくださればうれしいです。(こういうのって、誰に見つけられて、いつ誰かに読んでもらえたってわかるんだろう笑)